無意識の意識

無意識の意識

 


意識と無意識は、顕在意識と潜在意識ともいいます。
意識とは、意識しているわけですから、意味合いとしては、頑張っている。我慢している。取り繕っている。演じている。など、周りの状況に合わせて生まれる心の働きです。
無意識とは、意識していない=自然に生まれてくる心の働きで、感情。想い。願い。本音。欲求。など、自分の内面に自然と浮かんでくる気持ちや感覚のことです。
ユングはフリードリヒ・シェリング(対象化された自己意識を「無意識」(独: Unbewusstsein 意識でないもの、独: Bewusstlosigkeit 意識を欠いた状態)とした)が西洋における無意識の発見者であるとしている。無意識の領域を、簡単な表現で、「無意識(独: Unbewusste、英: the unconscious)」とも呼ぶ(ここでいう「無意識」は、「意識されていない心(英: unconscious mind)」などとは異なる概念である)。 ちなみに、AD4世紀頃現れた仏教の唯識思想、「唯識三十頌」では、前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と言う意識のほかに無意識とも解釈できる末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という二つの深層意識層を想定した。
ドイツ語の "Überbrücken"、英語の"building bridges"は「橋を架ける」の意味です。
ソンディは無意識領域において「家族的無意識」の概念を提唱しました。

1:フロイト:個人的無意識
2:ユング :集合的無意識
3:ソンディ:家族的無意識。
これら3名は無意識仮説を提唱した心理学者です。

ソンディは、フロイト(S.Freud)、ユング(C.G.Jung)の無意識を「架橋する概念」として「家族的無意識」を提唱しています。



ジークムント・フロイト
精神分析学は、人間には無意識の過程が存在し、人の行動は無意識によって左右されるという基本的な仮説に基づいている。フロイトは、ヒステリー(現在の解離性障害や身体表現性障害)の治療に当たる中で、人は意識することが苦痛であるような欲望を無意識に抑圧することがあり、それが形を変え神経症の症状などの形で表出されると考えた。そのため、無意識領域に抑圧された葛藤などの内容を自覚し、表面化させて、本人が意識することによって、症状が解消しうるという治療仮説を立てた
カール・グスタフ・ユング
ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)の分析も含まれる。ユング心理学による心理療法では能動的想像法も取り入れられている。能動的想像法とは、無意識からのイメージが意識に表れるのを待つ心理療法的手法である。また、ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる
シャドウとは

上記でも説明したように、自分では認めたくない自分の事を「シャドウ」と呼びますが、そもそもシャドウとは何なのかについて説明していきます。

シャドウとは誰もが持つ「影」の事で、人はそれぞれ自分では認めたくない自分を持ちます。
認めたくない気持ちが強いほど影は濃くなりその影響力は強くなります。

シャドウの影響力が強くなると、あなたの人付き合いにも悪い影響が出てしまい、自分の心が原因で強いストレスを受けてしまい、自分で自分を壊してしまう事もあります。

そうならないためには、まず自分のシャドウを知る事が重要です。
人には必ず「光と影」の両面を持ちます。

「光」がペルソナだとすれば、「影」がシャドウです。
両面を知る事で、自分を知り、自分を知る事で人付き合いや自分との付き合い方を知る事ができます。

人生の大部分は人との関わりであり、人と関わるためには自分を知らなければなりません。
それでは次に、自分のシャドウを知る方法についてお話していきます。

自分の影「シャドウ」を知る方法

私たちが自分のシャドウを知ろうと思っても、認めたくない自分なのですから、あまり表だって出てくるような物でもありません。

それではどうすれば知る事ができるのでしょうか。
その方法とは、他人と言う鏡を通して知る事ができます。

どうも気に入らない人っていますよね。
例えば、チャラチャラしてて、軽い男が嫌いだったとします。

その人は、本当は自分もチャラチャラしたいと思っている自分がいて、でもそれではいけないと思い抑えています。
それを他人と言う鏡を通してみる事で、嫌悪感を覚えます。

つまり、シャドウを知るには、人を見ればいいのです。

他人に対してなぜかわからないような、嫌な気持ちを持つのは自分の中にある抑えている影の自分を見て嫌な気持ちになっているのです。
これを「投影」と言います。

ペルソナとは何か?
私たちは、1人の人間でも実に様々な「顔」を持っています。

例えば、「親」という顔、「妻or夫」という顔、
「○○会社の営業担当」という顔、「○○部の部長」という顔…。

私たちは、意識するか否かに関わらず、
地位や役割、場面に合わせて態度や行動を変えています。
つまり、「役割を演じている」わけです。

これが、ユングが提唱した「ペルソナ」です。
元々の意味は、古代ローマの古典劇において演者が身につけていた「仮面」。
つまり、私たちは普段の生活の中で
「仮面」をつけて暮らしているというわけ。
面白い発想ですよね(笑)。

確かに、心当たりはありますよね。
親の前では「わがままでテキトーな奔放娘」、
カレの前では「強がりだけど、実は健気なところもあって、放っておけない彼女」、
上司の前では「テキパキと仕事をこなすデキる部下」
女友達の前では「友達想いで気が利く、イイ子」

…こうして考えてみると、なんだかちょっと怖いですね(汗)
それでも、その仮面を自分で自覚できているのであれば
さほど問題はありません。



ユングが問題視しているのは、
「舞台を離れてもその仮面を外せずにいる人」
職場を離れた後も教師風を吹かせて説教じみたことばかり言ってしまったり、
奥さんに対してもまるで部下を扱うような態度で指導したりする人は
ペルソナとの関係に問題があるのかもしれません。
夢に表れる「ペルソナ」①
自分がかぶっているペルソナとの関係がうまくいっていない場合は、
その状況を象徴するような夢を見ることが多いようです。


ユングは「夢分析」も専門としており、
自分が見た夢と対話することで
「自分自身がかぶっているペルソナの在り方」や
「ペルソナとの付き合い方」を知ることができると考えました。

例えば、怪獣や獣と闘っている夢をよく見る人。
この場合は、
「怪獣=母親や父親を象徴するイメージ」と考えることができます。
つまり、親に対する恐怖心や、
それを乗り越えて独立しようという強い意思が見て取れます。

「イイ子」の仮面をかぶり、
親に抑え込まれて好きな方向に進めずにいる自分に対して
苛立つ気持ちがよく表れている夢だと思います。

人によっては、名刺を出そうと思っても名刺が見当たらないという夢を
見るケースもあるようです。
これも、自分の人生を自分で決めることができていないという気持ちの表れ。
「イイ子」「エリート」「優等生」の仮面を脱ぐことができずに
苦しんでいるのです。
夢に表れる「ペルソナ」②
筆者もよく見るのですが、「落ちる夢」ってありますよね。
ガクッと、階段を踏み外すような感覚の…。

このタイプの夢は、
「調子に乗るなよ」
「もっと地に足をつけたほうが良いんじゃないのか?」
「こんなにうまくいくハズがない。きっと失敗する」
…という不安感の表れ。

人生を楽しんでいる、人生が充実している…という仮面をかぶっているものの、
それは単なる見せかけで心の中は不安でいっぱい。
自信がありそうに振る舞っているけれど本当は自信なんてない…
そんな状態です。

確かに、筆者も、
表向きはポジティブですが内面は思いっきりネガティブ(苦笑)。
前向きで明るくて元気な人という仮面をつけてどこへでも行きますが、
心の中はいつだって不安で後ろ向きで超・ダーク。
心から「幸せだ」と思ってしまうと、
何かとんでもなく悪いことが起こるのでは…
という恐怖感からどうしても抜け出せません。

不思議なもので、明るく振る舞えば振る舞うほどに
内面的な不安感って増していくんですよね…。
無理な仮面を外して、根暗を前面に出してしまえば
もっと楽になれるのかもしれませんね。
厄介な頼まれごとをしたり、誘われたりする回数も減ってくるでしょうし(笑)。

ユングも、「自分に合った仮面をつけること」、
「仮面を上手に着脱できるようになること」が大切であると説いています。



ユング心理学で最もメジャーな概念といえば、「集合的無意識」。
心理学以外の分野の本にも度々登場するキーワードですので、
みなさんも一度や二度は目にしたことがある言葉ではないでしょうか。

これを理解するためには、まずはユング心理学の基礎について
ざっくりと知っておく必要があります。

まず、「元型」(アーキタイプ)という言葉。
これは、人の心の中に普遍的に存在していると考えられる
「イメージパターン」です。


例えば、ふっくらした体型の女性を象った土偶などに
母親的なものを感じるのは、「母親元型」が働くからです。

同様に、厳しく教え諭してくれる賢者のイメージは
「父親元型」の表れです。

これらのイメージは、は古代から伝わる神話や伝説、芸術、
個人が見る夢の中にも見られることから、
人類の心の中で脈々と受け継がれてきたものであると
ユングは考えたのです。

そして、その元型を生みだす元になっている
「何か」が根底にあるハズと考えて…。
結論として導き出されたのが、「集合的無意識」という概念。
これは、私たちの無意識の深層に存在するもので、
国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。
普遍的に存在する「無意識」
全ての人類に共通して存在すると言われている「集合的無意識」。
でも、ユングはなぜ、
「人類に共通して」と言い切る自信があったのでしょうか?

その答えの一つが、「マンダラ」です。
マンダラは、仏教の世界観を表現した円形の絵。
祈祷の道具に使われたりもしますので、
みなさんも1度くらいは目にしたことがあるのではないでしょうか?

そのマンダラと、ユング自身が描いていた絵との間に
大きな共通点があったのです。
この発見を機に、ユングは東洋哲学の研究にのめり込んでいきます。

また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には
共通したテーマを扱った物も多いことから、
洋の別を問わず人類の心の奥深くには
「共通した何か」があると考えたのです。

例えば、「太陽を崇拝する」というテーマや
自然に「母性」を見出すというテーマ…etc。
これらのテーマを生みだす根底にあるもの、
それが「集合的無意識」なんですね。

図のように、意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、
民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。
集合的無意識の役割とは?
ユングによれば、私たちが「自分」を認識できるのもまた、
この「集合的無意識」が存在するからなのだとか。

確かに、無意識・普遍的に共有できる「何か」がなければ、
自分が生きる価値を見いだすこともできないでしょうし、
他人と話をしても通じないような気がしますよね。

遠い昔の民話や伝説から学ぶことが多いのも、
世代が違う人と会話できるのも、
国籍が違う人との間に会話が成立するのも、
(言語の壁をクリアすれば、の話ですが…)
普遍的に共有できているものがあるからなのかもしれません。

そういったベースがなければ、会話は全く噛み合わないでしょう。
「集合的無意識があるからこそ、
人は自分自身とも他者とも対話・理解し合えるのだ」

自己の治療の中で見出したもの
実の父親のように慕っていたフロイト先生と
学問的な意見の相違で決別した当時のユングは、
ちょうど、いわゆる「中年期の危機」にさしかかっていた頃。
自分自身の生きざまについて、深く思い悩む日々を送っていたようです。

その当時、ユングはよく、円形の絵を描いていたのだとか。
当初は、なぜ円を描いてしまうのか
自分でもその意味を理解できなかったようですが、
精神的に安定している時にはキレイな円が描けるものの、
心が不安的な日に描く円はいびつであることに気づき始めます。

マンダラ

そしてある時、彼は、自分の描いた円と
東洋で瞑想の道具として使われている「マンダラ」との間の
共通点を見いだしたのです。
マンダラとはなんぞや?
マンダラ…耳にしたことはあるけれど、果たしてその正体は何ぞや!?
という言葉ですよね。
あまり、日常生活の中では耳慣れない言葉です。

マンダラとは、サンスクリット語で「円」を意味する言葉。
理想的な精神状態を表す象徴として使われるもので、
自分の中の対立する様々な感情を統合する意味があります。
(例えば、男性性と女性性、劣等感とプライドなど)

自分の中の相対する感情をうまくコントロールして収集をつけていないと、
円は歪んでしまうのです。

そもそものきっかけは、
ユングの友人であるリヒャルト・ヴィルヘルムによって贈られた
東洋哲学に関する書籍にあったようですが、以後、
ユングは東洋哲学について熱心に研究するようになったと伝えられています。

同時に、中国の「練金術」や西洋の練金術にも出会い、
この研究に没頭していくのです。
集合的無意識とマンダラ
実はこのマンダラ、ユングが提唱した
「集合的無意識」という概念とも深いつながりがあります。

「集合的無意識」
…心理学以外の分野の本にも度々登場するキーワードですので、
みなさんも一度や二度は目にしたことがある言葉ではないでしょうか。

ユング心理学では、人の心の中には普遍的に、
ある「イメージパターン」が存在していると考えます。
例えば、ふっくらした体型の女性を象った土偶などに母親的なものを感じるのは、
「母親元型」が働くからです。
子供を宿した女性のふくよかな姿=母性を象徴しているわけです。

同様に、厳しく教え諭してくれる賢者のイメージは
「父親元型」の表れです。

これらのイメージは、は古代から伝わる神話や伝説、芸術、
個人が見る夢の中にも見られることから、
人類の心の中で脈々と受け継がれてきたものであるとユングは考えたのです。

そして、その元型を生みだす元になっているものが、「集合的無意識」。
これは、私たちの無意識の深層に存在するもので、
国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。

元々、ユングがこの概念を思いついたきっかけこそが、「マンダラ」です。
仏教で使われるマンダラと、
彼自身が描いていた絵との間に大きな共通点があったことから、
ユングは東洋哲学の研究にのめり込んでいきます。

また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には
共通したテーマを扱った物も多いことから、
洋の別を問わず人類の心の奥深くには
共通した「集合的無意識」が存在すると考えたのです。

図のように、意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、
民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。
レオポルド・ソンディ
ハンガリー出身の心理学者レオポルド・ソンディ(Leopold Szondi,1893-1986)は、運命分析学という深層心理学の学派を創設したり、『ソンディ・テスト』という人物写真を利用した投影法の心理テストを開発したことで知られる。日本語での名前表記は、レオポルド・ソンディ以外にも、英語読みで『リポート・ソンディ』という風に表記されることも多い
集合的無意識(Kollektives Unbewusstes)」とは、偉大な心理学者カール・ユング(Carl Gustav Jung)によって提唱された。
人間の意識の奥には、個人的無意識が存在し、さらにその奥には集合的無意識が存在するという概念だ。
集合的無意識は、個人のみならず集団や民族、人類全体、さらには時空を超えて森羅万象、宇宙の意識ともつながっている。
集合的無意識に共通する基本的形を「元型(Archetyp )」と呼び、この元型から集合的無意識が生じ、原始心像が意識化され、元型そのものが意識化されることは決してない。

ソンディ・テストで知られる精神医学者のレオポルド・ソンディ(Léopold Szondi)は、フロイトの説いた個人的無意識とユングの説いた集合的無意識の中間に位置する家族的無意識という概念を提唱した。
ソンディは、精神医学の世界で「運命分析学」という未だに学問的価値を認められてない分野にメスを入れた稀有な存在であった。


「家族的無意識」とは、先祖の抑圧された意識が子孫の運命に重大な影響を与えるといった考えで、運命が子孫に遺伝していくことを意味する。「親の因果が子に報い」と呼ばれる病気や負債の運命は「強制運命」と呼ばれ、個人の自由意志から生まれる「自由運命」と常に拮抗している。

しかし、強制運命の支配下に置かれた不幸な人生も先祖のせいだけではない。
そのような先祖の子孫として生まれてくることにより、過去世でのカルマを解消させられているのだから、よく理解し受け入れた上で、人生を自由運命に傾くよう舵取りをしなければならない。
カルマの解消には、自分を第三者的に観る行法を身に付けるのが一番である。

ソンディは子孫が祖先から先祖代々継承している意識(衝動)のことを『衝動感情(衝動意識)』と呼び、『人間の運命とは選択である』といった。人間は祖先から受け継いだ衝動感情(衝動意識)をベースにして、『結婚選択・職業選択・疾患の選択・死亡形式の選択』という4つの人生の分野で重大な選択をしていくというのがソンディの理論である。

L.ソンディの運命観には『自分が主体的に選択する要素』と『祖先からの意識・感情によって決定されるという要素』の2つがあり、人間が自分の運命を選択する(選択させられる)要因になる遺伝子には以下の8つの種類があるとした。『運命分析法』という心理テストでは、この8種類の遺伝子の働きの趨勢(強さ)とバランスを知ることができるとされている。

Sch(自我衝動)……p(存在遺伝子),k(所有遺伝子)

C(接触衝動)……m(依存遺伝子),d(獲得遺伝子)

P(感情衝動)……hy(道徳遺伝子),e(倫理遺伝子)

S(性衝動)……s(攻撃遺伝子),h(情愛遺伝子)

レオポルド・ソンディの想定した祖先から受け継ぐという無意識は『家族的無意識』と呼ばれており、ジークムント・フロイトの『個人的無意識』よりは広く、C.G.ユングの『普遍的無意識(集合無意識)』よりはその範囲が狭いと考えられている。ソンディの運命分析学を前面に出した深層心理学の究極の目的は、『個人的無意識と家族的無意識と普遍的無意識の経験的・理論的な統合』であった。